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1 | 大塚寅彦 | Wikipedia |
大塚 寅彦(おおつか とらひこ、1961年5月17日 - )は、日本の歌人。2004年より中部短歌会主幹、歌誌「短歌」編集発行人。 | ||
5月17日生まれの人  1961年生まれの人 | ||
愛知県立大学出身 全国の愛知県立大学の出身者 | ||
愛知県立春日井商業高等学校出身 全国の愛知県立春日井商業高等学校の出身者 | ||
2 | 田中寅彦 大阪府 豊中市 出身 | Wikipedia |
田中 寅彦(たなか とらひこ、1957年4月29日 - )は、将棋棋士。高柳敏夫名誉九段門下。大阪府豊中市出身。棋士番号127。棋聖のタイトルを獲得。竜王戦1組通算9期。順位戦A級通算6期。日本将棋連盟理事(2005年5月 - 2009年5月、2011年5月 - 2013年6月)。2012年12月に当時専務理事であった谷川浩司の会長就任に伴い、日本将棋連盟専務理事となった。 | ||
4月29日生まれの人  1957年生まれの人 | ||
全国の大阪府出身者 全国の豊中市出身者 | ||
3 | 浜田寅彦 高知県 出身 | Wikipedia |
浜田 寅彦(はまだ とらひこ、1919年9月18日 - 2009年10月15日)は、高知県安芸郡奈半利町出身の俳優。 | ||
9月18日生まれの人  1919年生まれの人 | ||
全国の高知県出身者 | ||
早稲田大学出身 高知県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
4 | 吾郷寅之進 島根県 大田市 出身 | Wikipedia |
吾郷寅之進(あごう とらのしん、1914年‐1983年6月28日)は、国文学者。 島根県大田市生まれ。1938年東京帝国大学文学部国文科卒、東京府立中学校講師、奈良学芸大学助教授、教授、1966年校名変更で奈良教育大学教授、1976年「中世小歌と小歌集の成立に関する研究」で東北大学文学博士。79年奈良教育大学を定年退官、名誉教授、武庫川女子大学教授。 | ||
6月28日生まれの人  1914年生まれの人 | ||
全国の島根県出身者 全国の大田市出身者 | ||
5 | 小田村寅二郎 | Wikipedia |
小田村 寅二郎(おだむら とらじろう、大正3年(1914年)3月2日 - 平成11年(1999年)6月4日)は、日本の学者。公益社団法人国民文化研究会理事長。亜細亜大学教授。 | ||
3月2日生まれの人  1914年生まれの人 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
6 | 斎藤寅次郎 秋田県 由利本荘市 出身 | Wikipedia |
斎藤 寅次郎(さいとう とらじろう、1905年(明治38年)1月30日 - 1982年(昭和57年)5月1日)は、日本の映画監督である。本名は寅二郎。。喜劇映画を非常に得意とし、しばしば喜劇の神様と称される。 | ||
1月30日生まれの人  1905年生まれの人 | ||
全国の秋田県出身者 全国の由利本荘市出身者 | ||
明治薬科大学出身 秋田県出身の明治薬科大学の出身者 全国の明治薬科大学の出身者 | ||
7 | 新谷寅三郎 奈良県 出身 | Wikipedia |
新谷 寅三郎(しんたに とらさぶろう、1902年(明治35年)10月30日 ? 1984年(昭和59年)12月16日)は、昭和期の政治家・官僚。郵政大臣・運輸大臣。1974年勲一等旭日大綬章受章。 | ||
10月30日生まれの人  1902年生まれの人 | ||
全国の奈良県出身者 | ||
東京大学出身 奈良県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
奈良県立畝傍高等学校出身 全国の奈良県立畝傍高等学校の出身者 | ||
8 | 下村寅太郎 | Wikipedia |
下村 寅太郎(しもむら とらたろう、1902年(明治35年)8月17日 - 1995年(平成7年)1月22日)は哲学者・科学史家。科学から芸術・美術史、精神史まで幅広い論考がある。 | ||
8月17日生まれの人  1902年生まれの人 | ||
京都大学出身 全国の京都大学の出身者 | ||
9 | 高垣寅次郎 広島県 尾道市 出身 | Wikipedia |
高垣 寅次郎(たかがき とらじろう、1890年2月26日 - 1985年8月25日)は、日本の経済学者。 広島県尾道市生まれ。東京高等商業学校(後の東京商科大学、一橋大学)において佐野善作に師事。門下に塩野谷九十九、高橋泰蔵、新庄博、岡田俊平等がいる。 1943年に石橋湛山、山崎覚次郎らと金融学会を創立、1950年から31年あまり会長の任を果たした。一橋大学名誉教授、元拓殖大学学長、元成城大学学長、1976年勲一等瑞宝章受章。 | ||
2月26日生まれの人  1890年生まれの人 | ||
全国の広島県出身者 全国の尾道市出身者 | ||
一橋大学出身 広島県出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
10 | 沢村寅二郎 | Wikipedia |
沢村 寅二郎(さわむら とらじろう、1885年3月28日 - 1945年7月7日)は、英文学者、東京帝国大学助教授。 | ||
3月28日生まれの人  1885年生まれの人 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
11 | 寺田寅彦 | Wikipedia |
寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年(明治11年)11月28日 - 1935年(昭和10年)12月31日)は、戦前の日本の物理学者、随筆家、俳人であり吉村冬彦(大正11年から使用)、寅日子、牛頓(“ニュートン”)、藪柑子(“やぶこうじ”)の筆名でも知られる。高知県出身(出生地は東京市)。 | ||
11月28日生まれの人  1878年生まれの人 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
高知県立高知追手前高等学校出身 全国の高知県立高知追手前高等学校の出身者 | ||
12 | 鈴木寅彦 福島県 出身 | Wikipedia |
鈴木 寅彦(すずき とらひこ、1873年(明治6年)3月23日 - 1941年(昭和16年)9月18日は、日本の実業家、政治家。福島県士族。日本曹達社長、北海道瓦斯会長、東京瓦斯専務などを務め、衆議院議員当選5回。東京市政疑獄で有罪となったのち、第15代若松市長に就任。長女の隆子と岡田幸三郎の間に生まれた孫娘は順子と名づけられ、遠藤周作に嫁ぐ[3]。 | ||
3月23日生まれの人  1873年生まれの人 | ||
全国の福島県出身者 | ||
早稲田大学出身 福島県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
13 | 松浦寅三郎 長崎県 出身 | Wikipedia |
松浦 寅三郎(まつうら とらさぶろう、慶応2年8月4日(1866年9月12日) - 昭和22年(1947年)1月15日)は、日本の教育者。 | ||
8月4日生まれの人  1866年生まれの人 | ||
全国の長崎県出身者 | ||
皇學館大学出身 長崎県出身の皇學館大学の出身者 全国の皇學館大学の出身者 | ||
学習院女子高等科出身 全国の学習院女子高等科の出身者 | ||
14 | 荒木寅三郎 群馬県 出身 | Wikipedia |
荒木 寅三郎(あらき とらさぶろう 1866年11月23日(慶応2年10月17日)-1942年1月28日)は日本の医学者。京都帝国大学総長、学習院長や枢密顧問官を歴任する。 | ||
11月23日生まれの人  1866年生まれの人 | ||
全国の群馬県出身者 | ||
学習院大学出身 群馬県出身の学習院大学の出身者 全国の学習院大学の出身者 | ||
15 | 穂積寅九郎 | Wikipedia |
穂積 寅九郎(ほづみ とらくろう、嘉永7年5月16日(1854年6月11日) - 大正13年(1924年)1月18日)は、幕臣、明治期の実業家、教育者。 | ||
5月16日生まれの人  1854年生まれの人 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 |